横浜・山手には、観光客があまり訪れない小さな教会がいくつかあります。その一つのプロテスタント教会で、日曜朝の聖歌隊に集う方は常時十数名。ほとんどが五十代から七十代の方々で、お二人の物語は、この聖歌隊の朝に始まりました。
葉子さんは六十一歳。七年前にご主人を亡くされ、その後、長く一人で過ごされてきた方です。正彦さんは六十五歳。五年前に離婚され、それまで疎遠だった幼い頃の信仰に戻ってこられた方でした。
聖歌隊に入った理由
葉子さんが聖歌隊に入られたのは、ご主人を亡くして三年目の春でした。それまで、日曜の朝は何もする気になれず、ただ家の中で時間をやり過ごしていたそうです。
教会の牧師夫人が、地域の会合で葉子さんにこう声をかけられました。「歌わなくていいから、座って聞きに来るだけでもね」。この一言が、葉子さんの日曜の朝を、少しずつ変えていきました。
最初は本当に、ただ座って聞いていらっしゃっただけでした。半年ほどたった頃、隣の席の方から楽譜を手渡され、気がつけば葉子さんも小さな声で歌われていたそうです。
正彦さんの、遅い再会
正彦さんは、幼稚園がキリスト教系だった方でした。しかし成長されてからは、信仰から離れ、長い会社員生活を送られました。離婚されたあと、偶然通りかかった横浜山手の教会で、かつての聖歌を耳にして、足が止まったそうです。
「私は信者ではありませんが、見学させてもらえますか」と牧師に尋ねられたのが、最初の来訪でした。牧師は「歓迎しますよ。信仰の話は、ご自身のペースで」とお答えになりました。
正彦さんが聖歌隊に加わられたのは、葉子さんが入られてから一年半ほどたった頃のことです。
楽譜を、並んで見るという距離
聖歌隊の練習では、楽譜が人数分用意されていないことがときどきあります。ある日曜の朝、正彦さんが楽譜を持っていらっしゃらず、葉子さんが「よろしければ、一緒に見ましょうか」と、自然に差し出されました。
二人で一冊の楽譜を覗き込む距離。これは、五十代、六十代の方にとって、不思議と緊張を解く距離なのです。面と向かって話すのではなく、同じ方向を一緒に見る。しかも、そこにあるのは聖歌の歌詞です。
練習後のお茶の時間に、お二人は初めて言葉を交わされました。「あなたの声、落ち着いていて、合わせやすいですね」と正彦さんが言われ、葉子さんは少し照れてお辞儀をされたそうです。
クリスマスの、二人の役割
お二人の関係が少し特別になったのは、その年のクリスマス礼拝の準備期間でした。聖歌隊でデュエットの箇所があり、葉子さんと正彦さんが担当されることになったのです。
週に二度の追加練習。秋から冬にかけての二ヶ月間、お二人は教会の小さな練習室で、何度も同じ箇所を繰り返されました。音楽は、会話を上手に媒介します。「この音は、もう少しゆっくりでいいですよ」「ここで息を吸うといいですね」。こうした言葉のやりとりが、お二人の間の空気を少しずつ温かくしていきました。
クリスマス当日、お二人のデュエットは、多くの方の胸に残る時間になったそうです。
お互いの喪失を、どう分かち合ったか
葉子さんはご主人を亡くされた方、正彦さんは離婚された方。喪失の質は違いますが、どちらも「かつての家族」の不在を抱えていらっしゃる点では共通していました。
お二人は、クリスマスが過ぎた頃、山下公園を一緒に歩かれたことがありました。その日、葉子さんがご主人の話を、正彦さんが前の奥様の話を、お互いに少しずつされました。
正彦さんが印象的なことをおっしゃいました。「妻と別れたあと、私は自分を責め続けていました。でも、聖歌隊で歌っているときだけ、責める気持ちが少し薄れるんです」。葉子さんは、そのお言葉に深くうなずかれました。
ゆっくり、ゆっくり
お二人は、今も同居はされていません。結婚もされていません。それぞれのご自宅があり、それぞれのご家族がいらっしゃいます。会うのは、日曜の朝の聖歌隊、水曜の練習、そして月に一度の食事と散歩。
葉子さんのご長女は、最初少し心配されたそうです。しかし、お母様が再び歌われている姿を見て、「お母さん、あの頃より若くなったみたい」とおっしゃるようになりました。
正彦さんのご長男は、お父様が教会に通われていること自体に最初驚かれたそうですが、父の穏やかな表情を見て、「無理して何かを決めなくていいよ」と言われたそうです。
葉子さんの、短い言葉
最後に、葉子さんが取材の最後におっしゃった言葉を、そのままお伝えします。
「一緒に歌える人がいるということは、一緒に沈黙できる人がいるということでもあるんですよ。歌と歌の間の、あの静けさを共有できるかどうか。そこに、本当の相性がある気がするのです」。
六十代の再出発は、派手な物語ではなく、日曜の朝の、静かな楽譜の一冊から始まることもあるのです。